この物件が存在する「大鋸屋町」。
さて、早速クイズです。
「大鋸屋」って何と読むでしょうか??
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正解は、「おがや」です。
この大鋸屋町は、前田利長公(加賀前田家2代当主で、高岡開町の祖)の菩提寺である瑞龍寺(ずいりゅうじ)建立に際し、木挽(大鋸屋)小屋があったことが名前の由来となっています。
同じく、瑞龍寺建立時に大工小屋などがあったとされる「大工町」「大工中町」と共に、「大工町三町」と呼ばれていたそうです。
(参考文献:『歴史都市高岡 日本遺産と旧町名副読本』高岡市日本遺産推進協議会発行)
ちなみに、瑞龍寺は1997(平成9)年に国宝に指定され、現在も富山県唯一の国宝です。

こちらは大鋸屋町のメインストリート。
今回の物件の前面道路にもなる一方通行の道ですが、
実はこれ、県道なんです。
この道は富山県道40号高岡庄川線。
大工中町~大鋸屋町~関町の区間は一方通行。あとはちゃんと2車線以上あります!
砺波市の庄川町まで続いていきます。
周辺を歩いてみると、すぐ西側は坂の下り。




坂、坂、坂・・・。
この地形にもちょっとした歴史があるとかないとか。
高岡の中心部を流れる「千保川(せんぼがわ)」は、
17世紀ごろまで、富山県西部を代表する大河川「庄川(しょうがわ)」の本流だったそうです。
(現在はもっと東側、射水市との境目あたりを流れています)
なのでかつての千保川は今よりも流域が広く、
この坂は当時の川幅の名残だったとか・・・?
今では600mほど西に進まないと千保川にたどり着かないので、
本当に名残だとしたら、当時はかなりの川幅だったんだなと・・・。
さて、国宝・瑞龍寺の建立に関係する町ということで、
当然瑞龍寺にも近い場所ですが・・・。
瑞龍寺へ向かう途中の関町に、もうひとつ由緒あるお寺があります。
それが、「総持寺(そうじじ)」。

「高岡」の名前の由来となったと言われる、中国の詩経の一節
「鳳凰啼けり 彼の高き岡に」
これ、前田利長公が築城の際、
総持寺の和尚さんに命名を依頼し、「高岡」という名前になったと言われているそうですよ。
とても由緒ありますね・・・。
そして、この総持寺の見どころは、
お寺の周辺に祀られている「六十六部の石仏」。



写真の通り、特徴のある石仏が38体残っております!
さて、周辺のお店というと・・・。
徒歩や自転車圏内にコンビニやスーパーもあり、
また駅も近いのでそこまで不便な場所ではないと思います。
でも、もっと近い、徒歩5分程度の場所には、こんなお店も。

全日食ハスミ店。
コンビニのような、小さなスーパーのような。
食料品の品ぞろえもいいですよ!
ちなみに、筆者は幼稚園時代によく連れていってもらいました(笑)
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さて、大鋸屋町とその周辺はいかがだったでしょうか?
歴史も深く、また地形的にもワクワクする町だなと思います。
ぜひ、そんな大鋸屋町で暮らしてみませんか??
■この記事を書いた人
ウインマーベラス
1992年高岡市生まれ
観光ボランティアガイドグループ代表、NPO法人理事など
大鋸屋町は同小学校区内なので、そこそこ近所
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